随 筆

 

SMC賞受賞について*

 

黎 しん**

 

* 平成2169日原稿受付

**東京工業大学大学院,〒226-0026 横浜市緑区長津田町4259 R2-45

 


1.はじめに

この度,日本フルードパワーシステム学会の「2008年度SMC賞」を頂き,非常に光栄に思っております.本稿では,顕彰論文に選んでいただいた旋回流を利用する空気圧非接触搬送装置の研究紹介を含めて,それほど長くない私の研究生活とその感想を述べたいと思います.

2.面白い空気の旋回流現象

「SMC」賞に採用された「旋回流を用いた非接触搬送装置系に関する研究(第1報)」では,空気の回転を生かして非接触搬送を実現できる大変面白い技術を解析したものです.旋回流とは,回転する流体を意味し,普段の生活でよく見られる現象です.図1の左はグラスの中で回された水の様子を示します.液面の中心部が凹んでいる原因は,遠心力により中心部の圧力が外周より低くなるためです.回転する空気も同じ現象が発生します.ここで,空気を回転させる装置は図1の右に示され,向きを逆にされたカップのように見えるのでボルテックス・カップと呼ばれています.中心部に小さな円筒室(Cylinder)があり,円筒室の接線方向に細いノズル(Nozzle)が作られています.空気がノズルから噴出すると,円筒室の壁面に沿って回転し,カップの中に小さな渦巻ができます.非常に簡単な形状ですが,これが素晴らしい機能を果たしています.空気の回転に起因する遠心力により中心部に負圧分布が形成されるから,カップの下にワークを設置すると,ワークはカップに吸引され,カップからちょっと離れた位置で吸引力とワークの重力が自動的にバランスし安定して浮揚します.カップのスカート部(Skirt)とワークとの間にわずかな隙間があるので供給された空気が隙間を通過して放出されます.従って,カップはワークに接触することなくワークを把持することを実現できます.最新の非接触搬送技術なので,カップに関する解析と研究がほとんどなされていないようです.そこで,私は指導教授の指導に従ってカップの解析を進めており,カップの特性についての解析結果を「日本フルードパワーシステム学会論文集」に掲載された第1報にまとめました.

3.論文の概要と研究の進歩状況

1報の研究論文はカップの定常特性についての考察を中心としたものです.カップ中に空気の回転により負圧分布が形成され,そして吸引力が生じると考えられていたので,解析の第一歩としてワーク表面の圧力分布を測定しました.ワークとカップとの間隔と供給流量を固定して測定した結果の一例を図2に示します.カップの円筒室内(r<R1)では,中心部の圧力が外周の圧力より負圧まで低下していることを確認しました.

簡略なモデルで遠心力の作用を考慮した放物線の近似式を提案しました.図2のピンクの線は近似曲線を示し,空気が25RPM程度の回転速度で高速旋回していることが推定されています.また,空気がスカート部とワークとの間の薄い隙間(R1<r<R2)に入ると粘性の影響が強くなるので,正の圧力分布が形成されています.当然ながら,供給流量を変えれば,この圧力分布が変わります.一方,圧力分布がカップとワークとの間隔に依存することを実験によって明らかにしました.図3には,間隔を変化させた時の圧力分布の変化を示します.従って,吸引力は間隔に関係し,実測した間隔と吸引力との定常関係は図4のようになります. ワークとカップとの間隔が拡大されることにつれて,吸引力が大きくなり,ある位置で最大吸引力に達します.間隔がその以上に拡大されると吸引力が徐々に下がってきます.カップがあるワークを把持する場合では,図4の破線で表したワークの重力が吸引力の曲線と2箇所(A点とB)で交差し,交差点において吸引力と重力が釣り合います.通常,ワークはA点において安定に浮揚するのでA点を安定浮揚点(Stable levitation position)といいます.B点においては,重力と吸引力が等しいですが,ワークがB点からちょっと離れると,A点に行くか落下するため,B点におけるワークの浮揚が不安定であり,B点を浮揚の境界点と呼びます.

つぎに,最近の研究の進歩状況を簡単に紹介します.すでに「日本フルードパワーシステム学会論文集」に掲載された第2報では,カップを用いてワークを搬送する時,非定常の現象に着目して解析を行いました.

間隔が時間的に変化する場合では,第1報の定常状態で測定した吸引力と間隔との関係がどうなるかを主な問題点とします.この問題を解明するために,間隔を変化させながらワーク表面の圧力変化を観察してみました.その結果,旋回流による吸引力のほか,間隔の時間変化に起因するダンピング力が存在することを確認しました.そして,このダンピング力を考慮した動的モデルを提案し,モデルの妥当性を実験により検証しました.さらに,数値計算の手法を利用してカップ中の流れ現象についての解明も進めており,測定不可能な3次元の流速と圧力分布などを明らかにしている一方で,消費エネルギーの観点からカップを評価する手法を提案し,カップを応用・設計する際に役立つ指針を提示することを目指しています.

4.研究の楽しさがわかるまで

私は2003年に中国の浙江大学で学部を卒業してから日本にやって来ました.機械系出身なので,日本に来る理由はロボットのことを勉強したかったのですが,結局,空気圧の研究室に入りました.最初,日本語の支障はもちろん,圧縮性流体の基本もできていないため,研究室の研究内容を理解することができなく不安な毎日でした.必要な知識を勉強しながら先輩の研究を手伝っていました.そのうちに研究の楽しさが実験データから伝わってくるようになり,だんだんと充実した日々が送れるようになりました.

ボルテックス・カップのテーマをスタートしたのは3年半前のことでした.そのきっかけは,香川教授がある展示会でボルテックス・カップを見て旋回流の現象とその応用に興味を持ち,「ぜひ,うちの研究室でボルテックス・カップの特性を解析してみましょう.」と言ったそうです.そして,私はこのテーマを与えられることになりました.初めて独立して研究をやりますので,実験項目や実験計画などを立てられず,指導教授からのヒントを理解することもできませんでした.無用な実験をやって中途半端なデータばかりを取っていました.この研究については,何が一番大事なのか,現場の人が何を知りたいのか,これらの問題をはっきりと意識していないから頭の混乱の状態がしばらく続いていました.時間が経つことによって,繰り返した実験の中でこの研究に対する理解が少しずつ高まって来ました.また,指導教授について工場を見学したり現場の人と話したりする機会が多く,それにより研究の必要性がわかってきた一方で,研究の方向性も広がってきました.研究に一番助かるのは指導教授との打ち合わせです.指導教授からいただいた打ち合わせのメモは本一冊くらいあります.その中に,重要なヒントがたくさん書かれており,この研究の要点を示しています.図5は最近頂いたメモの写真です(裏紙とカレンダ用紙はよく使われています).そして,実験装置を工夫して正確にデータを測定することによってこれらのヒントを理解することができた時の喜びは大きいものでした.さらに,実験をやり続けることと考え続けることを通していろいろなノーハウと知識を身につけることができ,私の人生に無上の財宝となります.この研究をやってきてよかったと思います. 

5.おわりに

今回の受賞は私にとって本当に思いがけないことでした.学会のご厚意で「SMC賞」を与えていただくことになり,感謝の意を申し上げます.論文を執筆するに当たってご指導を頂いた東京工業大学精密工学研究所の香川利春教授と川嶋健嗣准教授,当時の研究室助手であった蔡茂林教授(現在,北京航空航天大学教授)と木達也さん(現在,産業技術総合研究所に所属)に深く感謝の意を申し上げたいと思います.また,現場の経験を親切に教えていただいた(株)ハーモテックの岩坂斉さんと徳永英幸さんに深く感謝します. 

さらに,小山先生を始め,審査委員の先生方に厚く御礼を申し上げます.これから「SMC賞」の力をお借りして研究を進めていきたいと思います.

受賞式の日, 懇親会に参加して油空圧の分野で活躍している先生方や研究者の方々と話す貴重な機会をいただきました.話しの中で,後輩としての私は知識が足りなく経験も欠けていることを深く感じていました.

今後,日本フルードパワーシステム学会の先生方や先輩の方々にご指導ご鞭撻いただきたくよろしくお願い申し上げます.

著者紹介  

() しん 君

2003年,中国浙江大学機械電子専攻卒業.2007年東京工業大学大学院総合理工研究科メカノマイクロ工学専攻修士課程修了.同年同大学同専攻博士課程入学,現在に至る.空気圧非接触搬送装置に関する研究と圧縮性流体の計測・制御に従事.日本フルードパワーシステム学会の学生会員.

E-mail: li.x.ad@m.titech.ac.jp