解 説

 

油圧アームのパラメータ同定法とポートハミルトン形式の新しい機械力学*

−学術論文賞について− 

-学術論文賞受賞について-

酒井 悟**

 

* 平成25615日原稿受付

** 信州大学工学部,〒380-8553 長野市若里4-17-1

 

 

1.はじめに

国内では油圧駆動の建設機械が高放射線環境にて無人作業をしたり,国外では油圧駆動のヒト型ロボットが歩行したりする時代となった.一方,ロケット・船舶・自動車に限らず複数の分野において油圧駆動から電気駆動への置換が進行しており,その一因(あるいは大因)は制御性能の不足であるともいわれている.しかし,油圧駆動では発生力が非常に大きかったり,ブレーキ機構が不要であったりするだけではなく,油圧駆動の設計や解析に不可欠な機械力学そのものが新しい局面を迎えている.本稿では既報1)のパラメータ同定法とその研究動機である新しい機械力学について概説させていただく.

2.パラメータ同定 

一般に,与えられた対象を制御する場合,

 A モデルフリー制御 (技能による制御.宮大工が経験に基づいて作業するように制御すること)

 B モデルベースト制御(技術による制御.建築士が力学に基づいて作業するように制御すること)

という2つの考え方がある2).モデルベースト制御とは異なってモデルフリー制御では,制御器を設計・解析する段階やシミュレーションする段階が存在しない.そのため,ある条件(作業環境や作業機械や作業者に関する条件)のもとで高い制御性能を実験段階で達成できたとしても,その条件が変化した場合の制御性能を評価するためには再び実験段階が必要となる.つまりモデルフリー制御では評価コスト(実証の反復回数)が増大してしまい,ミクロの観点からもマクロの観点からも経済的価値は相対的に低い.逆に,モデルベースト制御では,その条件が変化した場合の制御性能を実験段階よりも以前の段階で評価できるため,(科学的価値と)経済的価値が相対的に高い.すでに電動アームでは一定のモデルベースト制御が確立されているが,油圧アームでは建設・災害救助・地雷除去・農業のための作業ロボットを実現するために,より高度なモデルベースト制御が確立されなければならない.すでにBigdog 3)などのロボットは高い制御性能を達成しているが,それぞれのロボットに固有の問題を解決するモデルフリー制御に依存しており,他の油圧ロボットや種々の建設機械の高度自動化に共通する問題を設定して解決するモデルベースト制御は確立されていない.

 さて,モデルベースト制御では,以下に示す4つの段階 

段階1 モデリング・同定

段階2 制御器設計・解析

段階3 シミュレーション

段階4 制御器実装・実証

を少なくとも通過する必要がある.ここで段階1のモデリング・同定とは,制御対象を状態方程式(油圧アームの場合では運動方程式や連続式)と出力方程式,あるいは,伝達関数として記述したり,Block線図やBond-Graphを描いたりして,設計モデルを構築することである.段階2の制御器設計・解析とは,構築された設計モデルを用いて,古典制御・適応制御・インピーダンス制御などの理論に基づいて制御器を設計したり解析したりすることである.したがって,段階1が実行不可能であれば段階2も実行不可能となる.

 制御工学の設計モデルは流体力学におけるモデルなどと比較すると厳密さに欠けるようにみえることがある.しかし,厳密さを追求すると段階2に対して接続不可能となることが多く,また,一見すると厳密さに欠けるモデルが実はパラメータ変動や不確かさなど未知数を有する全体モデル(モデル集合)の一部分(公称モデル)にすぎないことも多い.

 ここで段階1は,

段階1A)ブラックボックスモデリング(スイカを叩く手の動きと音から糖度を当てるように同定すること4)

段階1B)ホワイトボックスモデリング(スイカの蔓を切って糖度計を読み取るように同定すること)

段階1C)グレーボックスモデリング

3つに大別される.ブラックボックスモデリングでは入力と出力から伝達関数などを同定するため,制御対象を分解する必要が無く同定コストが低い.しかし,制御対象が線形システムであるなどの前提を要する.無論,線形システムへ近似してから適用することは可能であるが,代償として大域的情報(油圧アームの場合では,高速運動やシリンダーエンド近傍運動の情報)・物理情報(油圧アームの場合では,体積弾性係数・流量ゲイン・摩擦係数)の多くが失われると,段階2における高度自動化のための制御器設計は困難となる.

 反対に,ホワイトボックスモデリングでは線形システムへ近似することなく物理パラメータを11つ計測するため大域的情報や物理情報のほぼすべてが得られるが,制御対象の分解などによって同定コストが高くなる(油圧アームの場合では,体積弾性係数・流量ゲイン・摩擦係数の同定コストが高い).制御対象の分解を避けるため,制御対象のシミュレーション応答が実験応答と一致するように,GA(遺伝的アルゴリズム)やPSO(粒子群最適化法)など探索法を用いて未知パラメータの値を試行錯誤して同定する方法では,目的関数の多峰性が弱い場合を除くと初期推定値が真値に十分近くなければならない.

 以上のブラックボックスモデリングとホワイトボックスモデリングの折衷がグレーボックスモデリングである.複数の物理パラメータから定義される基底パラメータについての線形方程式へ設計モデルが変換できれば,グレーボックスモデリングは可能でありヒルベルト空間における射影定理から一意に同定される.グレーボックスモデリングが可能であれば,制御対象を分解する必要が無く大域的情報は得られるものの,基底パラメータから物理パラメータが再現されないと物理情報の一部が損なわれる.したがって段階2における高度自動化のための制御器設計が困難となるかは,物理情報の損失程度に依存する.

 

 では制御対象が油圧アームの場合,グレーボックスモデリングは可能か?もし可能ならば物理情報の損失程度はどの程度か?の2点が問題となる.この問題を水平1自由度に対して解決したのが既報1)である.具体的には,水平1自由度ではグレーボックスモデリングは可能であり(図1),かつ,物理情報の損失程度が小さいこと(流体部分では基底パラメータから物理パラメータが再現できること)が明らかになった.

 既報1)のグレーボックスモデリングの考え方は文献5) 6)とほぼ共通する.しかし,特に海外での最新成果7)においてもホワイトボックスモデリングが報告されつづけられている.この理由としては,電動アームには無い性質として油圧アームの設計モデルが

構造的特徴1 適当なパラメータ(と初期値)に対して状態方程式の解軌道が存在しない

という性質を有することが考えられる.平方関数を有する入力行列が適当なパラメータに対して複素行列になって(実験では存在する)解軌道が存在しなくなることは,設計モデルが重要な仮定に基づくことを意味する.一言でいえば,(筆者も含めて)グレーボックスモデリングは現実的に実行不可能であるという予想があったと考えられる.実際,ホワイトボックスモデリングとして探索法を用いてパラメータを試行錯誤しても,解軌道が存在しない場合が頻発して真値を同定できなかった.

 なお,通常の多自由度電動アームには無い性質として多自由度油圧アームの設計モデルは, 

                   ●構造的特徴2 全リンクが共有するパラメータが存在して,かつ,未知である

という性質を有する.各リンクを1つずつ運動させてパラメータを逐次同定すると,複数の体積弾性係数bが同定されてしまい,一意性が失われたり他のパラメータとの信頼性が整合しなかったりという問題が発生する.従来の多自由度電動アームの場合には,全リンクが共有するパラメータは存在しない,または,重力加速度gのみであるため既知として扱われてきた(1).一意性を失わずに他のパラメータとの信頼性を整合させて体積弾性係数を同定する手法の開発が必要である.

3.新しい機械力学

 2006年,数学分野の国際会議ICM4年に1回,数学のノーベル賞といわれるフィールズ賞が顕彰される数学界最大の会議)の招待講演として,新しい機械力学に関する研究成果が当時オランダTwente大学のA.J. van der Shaft教授によって発表8)されている.従来の理学の力学(天体力学など)とは異なり,工学の力学(機械力学など)ではラグランジュ形式やハミルトン形式では記述されない制御対象をモデリングする必要がある.制御対象が油圧アームの場合,ラグランジュ形式で記述されるのは剛体部分の運動方程式であり,流体部分の連続式はラグランジュ形式では記述されないため,結果的に油圧アームはラグランジュ形式でもハミルトン形式でも記述されない.よって従来は,油圧アームは単なる一般の非線形システムの1つとされており,ラグランジュ形式やハミルトン形式のために開発された適応制御・インピーダンス制御など段階2の手法は,電動アームには応用されても油圧アームには応用されなかった.換言すると,一般の非線形システムのための制御問題というもっとも難しい制御問題が解決されない限り,油圧アームの高度自動化には進展が望めないことが半ば暗黙の了解であったかもしれない.

 

 ところが神秘的なことに,油圧アームは一般の非線形システムであるというよりも,ポートハミルトン形式というハミルトン形式を拡張した(要するにハミルトン形式に似て非なる)形式で記述されるという意味で,構造的特徴を有する特殊な非線形システムであることが新しい機械力学として明らかになりつつある.このことは,油圧アームの構造的特徴を利用すれば,電動アームと同様な制御器設計・解析への道が開けてきたことを示唆する.実際,新しい機械力学を応用するだけでなく,独自に展開9)しつつ,油圧アームに対する段階1から段階4までが再構築されつつある.実は油圧アームは,

                   ●構造的特徴3 「カシミール関数」という保存量が(摩擦とは無関係に)存在する

という性質を有するため,一般のポートハミルトン形式には無い構造的特徴をさらに有する(図2).そこで段階1として,従来の教科書とは異なる新しいポートハミルトン形式(2重積分表現)の発見9),段階2として,カシミール関数を一般化座標とする制御法10)(インピーダンス制御法・適応学習制御法など)が提案されている.ちなみに段階4の視点を用いると,一般に段階2

段階2A) パラメータ同定が必要な制御(≒モデルの実装が必要な制御≒狭義のモデルベースト制御)

段階2B) パラメータ同定が不要な制御(≒モデルの実装が不要な制御≒ダイナミクスベースト制御)

と大別できる.一般の非線形システムのための制御器設計は段階2Aとしては整備されているが,段階2Bとしてはそれほど整備されていない.既報1)によって段階1が段階2Aに対して接続可能となり,油圧アームのモデルベースト制御の確立が大きく近づいたとはいえるものの,実際にはパラメータ同定誤差が存在するため,新しい機械力学に基づく段階2B10) 11)の整備が高度自動化のために重要である.ただし段階2Bによる制御性能を段階3において評価するためにはパラメータ同定がやはり必要である.以上の展望のもとで,段階3としてカシミール関数に基づく順動力学シミュレーションの高速計算法9),段階4として油圧アームの新しい試験機(図3)が開発されている.

4.おわりに 

既報)のパラメータ同定法では,油圧アームを分解したりすることや線形近似や試行錯誤を介することなく,スプール変位とピストン変位・ピストン速度・圧力の信号のみを用いて流量ゲイン・摩擦係数などを同定できる.このことは,@モデルの実装が必要な制御器設計(段階2A),Aシミュレーション(段階3),の観点からモデルベースト制御の確立が大きく近づいたことを意味する.今後の課題はパラメータ同定法のオンライン化12)やロバストインピーダンス制御である.

参考文献

1)       前島, 酒井, 中西, 大須賀:油圧アームの基底パラメータ同定法とモデル検証, 日本フルードパワーシステム学会論文集, Vol.43, No.1, pp.16-21 (2012).

2)  木村制御工学の考え方,ブルーバックス (2002).

3)  Marc Raibert, Kevin Blankespoor, Gabriel Nelson, Rob Playter and the BigDog TeamBigDog,

    the Rough-Terrain Quadruped Robot, Proc. of IFAC , pp. 10822-10825 (2008).

4)       相良, 中溝, 秋月, 片山:システム同定, 計測自動制御学会 (1987).

5)       Mayeda, H. Yoshida, K. Osuka, K.Base parameters of manipulator dynamic models, IEEE Transactions on robotics and automation, Vol.6, No.3, pp.312-321 (1990).

6)       Bruno H. G. Barbosa, Luis A. Aguirre, Carlos B. Martinez, and Antonio P. BragaBlack and Graybox Identification of a Hydraulic Pumping System, IEEE Transactions on Control Systems Technology, Vol.19, No. 2, pp.398-406 (2011)

7)       A.Mohanty, B.YaoIndirect Adaptive Robust Control of Hydraulic Manipulators With Accurate Parameter Estimates, IEEE Transactions on control systems technology, Vol.19, No.3, pp.567-575 (2011).

8)       A. J. van der Shaft: Port-Hamiltonian systems: an introduction survey, Proc. of International Congress on Mathematitians, pp.1339–1365 (2006).

9)       Satoru Sakai: Fast Computation by Simplifications of a Class of Hydro-Mechanical Systems, Proc. of IFAC Workshop on Lagrangian and Hamiltonian Methods for Nonlinear Control, pp.7-12 (2012).

10)    Satoru Sakai, Stefano Stramigioli: Casimir Based Impedance Control, IEEE Proc. of ICRA,  pp.1384-1391(2012).

11) Satoru Sakai, Stefano Stramigioli: Passivity Based Force Control of Hydraulic Robots, IFAC Proc. of Symposium  on Robot Control, pp.20-25 (2009). 

12) 西海, 一柳, 加藤, 小波:自励振動法を用いた油圧サーボアクチュエータ系の実時間パラメータ推定,   

  日本フルードパワーシステム学会論文集, Vol.36, No.1, pp.1-7 (2005).

さかい さとる

酒井

19741016日生まれ.1998年京都大学工学部卒業,2003年京都大学農学研究科博士後期課程修了.同年京都大学情報学研究科日本学術振興会特別研究員(PD)2004-2005オランダTwente大学客員研究員,2005年千葉大学工学研究科助手(助教)2010年信州大学工学部准教授,現在に至る.ロボットのシステムと制御の研究,

農業ロボットの開発に従事.日本フルードパワーシステム学会などの会員.

E-mail:satorus@shinshu-u.ac.jp

 

 
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