随 想

 

近況−健康と楽しみあれこれ*

 

北川 能**

 

* 平成27611日原稿受付

** 東京工業大学名誉教授,〒152-8550 東京都目黒区大岡山2121

 

 

1.はじめに

一昨年の春に大学を退職して,はやくも2年あまり経ちます.時の経つのはまことに早いものと思うこの頃です.昔から思っているのですが,人間の時間目盛りはやはり対数目盛になっているようです.

さてこの度は,学会より名誉員という称号をいただきまことに有り難うございます.これまで学会には十分なお役に立つことが出来ませんでしたので恐縮いたしております.

大学に勤務していたころは,定年後はさぞやのんびりと楽しく過ごせると思っていたのですが,いざ定年退職してみるとそう簡単に問屋がおろしはしませんでした.その前提となる健康ですが,なぜか定年前後から身体のあちこちから不具合が出て来だし,のんびりどころかその対応に追われる毎日でした.

そこで今回は,難しい研究の話は避けて,最近遭遇した色々なお話をしてみたいと思います.

2.光選択的前立腺蒸散術

身体のあちこちの不具合と書きましたが,その最初は胸やけでした.それもデンプン系や甘いものを食べた後は特にひどい胸やけに悩まされるようになりました.また夜中に寝ていて突然胃からの逆流を感じて飛び起きるというようなことがあり,調べてもらうと食道裂孔ヘルニアという病気とのことでした.これは胃の入り口である噴門が横隔膜の上側にはみ出してしまい噴門の締まりが悪くなって胃の内容物が食道に逆流してしまうもので,そのままにしていると今話題の逆流性食道炎になってしまうというものです.これは手術をするほどのことはなく,胃薬を飲むことで何とか回避することができました.またつぎにお話しする病気への対処もあってデンプンや甘いものを取るのを控えたことも,回避の役に立ちました.

つぎにちょうど定年前後に問題となったのは糖尿病でした,自分がそうなるとは思ってもみなかったのですが,健康診断の血液検査からわかるHbA1c(ヘモグロビンエイワンシー)というものの数値が若干とはいえ糖尿病の範囲に入っていることがわかったのです.このHbA1cというのは過去12ヶ月間の平均的血糖値を表すといわれているもので,糖尿病かどうかを判定する有力な数値となっています.私の糖尿病は2型糖尿病というもので肥満や運動不足が大きな原因となっているようです.確かにそのころの私の体重は70kg近くもあり,ろくな運動はしていませんでした.お腹ぽっこりの体重70kg,ウエスト90cmというのはかなりのメタボ体質の肥満です.

2型糖尿病の多くは薬や手術で治すというより,現在より悪くならないように対処するか,あるいは少しでも改善するよう対処するという病であるようです.そこで食事療法と運動について色々調べてみました.運動の方は,定年後には幸いゴルフの練習をする時間が十分とれるので精々その練習をするとして,食事療法の方はいくら調べても「これならできる」というものがなかなか見つかりませんでした.食事療法のほとんどが,決められた一日あたりカロリー内でバランスよく栄養を取るというものですが,実際にやるとなると雲を掴むようで実際にはとてもできそうもありません.ただ一つ出来そうだなと思ったのは糖質制限(まったく取らないというのではなく,なるべく取らないようにする)という食事療法でした.糖質をあまり取らないことで膵臓からのインスリンの分泌が少なくても問題がないようにするものです.この食事療法は糖質だけを制限するもので,その他のものは特に制限しないのでだれでも簡単に実行することが出来ます.

そこで定年退職前後から,砂糖を使った甘いものは「食べない」あるいは「一口だけ食べる」ようにし,デンプン類は「なるべく食べない」ようにしました.朝食のトーストは1枚までにし,夕食はなるべくごはん抜きのおかずだけにして晩酌のビールは糖質0の発泡酒にしました.といっても,昼食でデンプン類を食べないようにすると食べるものがなくなってしまいます.昼食から弁当,おにぎり,うどん,そば,ラーメン,パスタ,などを除くと食べるものがありません.そこで昼食はこれらの普通のものを食べることにしました.ただし,大食いは避けました.また,色んな宴会で食事制限をするとこれまた欲求不満になりますから,宴会ではほかの皆さんと同じように普通に食べて飲むことにしました.

その結果,驚いたことに,体重は2〜3ヶ月で70kgから62kgまで急激に減少し,現在は60kgとなっています.私の身長における最適体重は60kgですから,現在は最適体重になっているということです.一方,大事なHbA1cの値は糖尿病の範囲から何とか抜け出し,正常範囲にぎりぎり入っています.とはいえ少しでも気を抜くとまた糖尿病範囲に舞い戻りそうなので気を抜くことは出来ません.現在では糖質をなるべく取らないという糖質制限食に慣れてしまい,それほど不自由を感じなくなりました.また食後の血糖値上昇を抑えるため,まず野菜系から食べ始め最後にデンプン系を食べることにも注意をしています.

さて,ここまでの私の身体の不具合は手術を伴わないものでしたが,これからご説明するものは手術を伴うものです.数年前から,男性特有の病気である前立腺に少しずつ支障がでてきていることは気がついていました,よくゴルフをする香川先生と一緒に「前立腺クラブ」なる親睦団体を勝手に作ったことにし,私が副会長,香川先生が幹事を自認しておりました.(同病のある先輩を会長に祭り上げました.)この自称前立腺クラブというのはまったくの冗談なのですが,今年に入ってから私には冗談ではなくなってきました.夜中に何回も起きてトイレに行きたくなる,そのくせトイレに行ってもなかなか出ない,という状態がだんだん酷くなったため,かかっているお医者様に相談したところ前立腺肥大の手術を薦められました.

そこで,前立腺肥大の手術について詳しく調べてみました.大学同期の友人にはすでにこの手術を受けた友人もいたので彼の話を参考にし,ネットで調べたところ,最近新しい手術法が健康保険で認定されていることが分かりました.従来多く行われていた手術法は電気メスで前立腺の内側から前立腺を刮げ取るという,聞いただけで痛そうな方法ですが,新しい手術法は光選択的前立腺蒸散術(PVP)という何とも難しそうな名前で,レーザー光線を使うものです.前立腺の内側からレーザー光線を当てて前立腺の内面を蒸散させてしまうもので,出血が従来の方法に比べて非常に少なく,患者への負担が小さいという訳です.

私はこの新しいPVPが良いと思いましたが,この方法で手術をやっている病院が東京には1カ所しかないことが分かりました.我が家からは少々遠い国立までその病院を訪ねて詳しく診断を仰いだところ,何と私の前立腺は通常の3倍にも肥大していることが分かり,さっそくPVP法で手術していただくことになりました.よく考えてみると,病院に入院したことはあるものの,病院に入院して手術を受けるというのは大人になって初めてでした.これまで大変幸せな人生を送ってきたものだなと改めて思いました.入院2日目に手術を受け,入院4日目に退院しましたが,最新技術は素晴らしいと感じました.手術翌日,点滴袋をぶら下げた台車をごろごろ転がしながら病院内をやっと歩いていると,自分が病人であることを再認識してしまいました.日頃,病院行くとそのような人をよく見かけますが,自分がその立場に立つことになり,入院している人がどう感じているか少し理解できたようです(図1).

現在は,退院して1ヶ月経過しました.手術による前立腺の傷が回復して粘膜が完全に再生するには3ヶ月を要するとのことで,まだまだ完治には至っていませんが,日に日に良くなっているようです.それにしても,技術の進歩は目を見張るものがあり,フルードパワーを含むどのような分野でも常に新しい技術を取り入れるべく世界中に注意を払うことが必要と思いました.

3.ゴルフパロディ百人一首

糖尿病の原因の一つとして運動不足があると書きましたが,確かに大学在職中はデスクワークばかりで運動不足ではあったようです.現在は毎日のようにゴルフの練習をしているのでかなり改善していると思います.一方,在職中の唯一の運動はゴルフでした.週一度の練習場通いと,2週に一度ほどのコースに出てのゴルフだけでは運動不足だったのは確かです.そのせいかどうか,私のゴルフの腕は10年経っても上達のあとがまったく見えませんでした.

同僚の香川先生はBAS会(ボギー・エージ・シュート会)というゴルフ親睦会を作り,毎週のように私を御殿場のゴルフコースに誘ってくれます.エージシュートというのは多くの皆さんがご存じのように,ゴルフの18ホールのスコアが自分の年齢と同じであることを言います.私は67歳なので,エージシュートを実現するには18ホールを67つまり5アンダーで回る必要がありますが,こんなスコアはプロゴルファーでもなければ不可能です.そこで(年齢+18),つまりすべてのホールがエージシュートより一打づつ多いスコア,これをボギーエージシュートということにして,これを目指すことにしたのがBAS会です.私の場合は85(=67+18)というスコアが得られればボギーエージシュート達成となりますが,それでも100が切れるかどうかという現在の私には十分いや非常に難しい数値です(図2).

はっきり言って,これまでずっと長い間,私は御殿場のコースに出るのを楽しいとは思っていませんでした.少しは運動になるかなと思い,そのうち上達するはずと思いながら毎回行っていましたが,なかなか上達せず,まともなスコアが出ません.一方,ほかの方々は嬉々として自分のスコアの話をしたり,あのホールはパーだったとかバーディーだったと言っている.ゴルフが始まる前,やっている最中,終わった後もスコアの話ばかりしている.一方の私はスコアの話はあまりしたくない,それで楽しくなかった訳です.

ゴルフをやりながら別の楽しみがないものかと,ずっと考えていたある日,百人一首に出てくる誰でも知っている和歌をもとに,ゴルフパロディの短歌を作ってはどうかということを,ふと思いつきました.その対象としてまず思い起こしたのは,多くの方がよくご存じのつぎの歌です.

 

春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてう 天の香具山(持統天皇)

 

この最初の「春過ぎて」から,「飛び過ぎて」を連想しました.そして次のようないつも失敗するバンカーの情景が思い浮かびました.

 

              飛び過ぎて バンカーに入りし 白玉を 横に出せてう アゴの高山(楊篤)

 

バンカーからグリーン方向へはアゴが高くなっている,つまりオーバーハングのようになっていて,出すのがとても難しい.周りの人は一旦やさしい横方向に出し,その後グリーンに乗せろと勧めるのですが,大方はその勧めを断ってグリーン方向に無理して打ち,失敗するという情景です.このような場面,いざとなるとなかなか周りの人のお勧め通りにできず,結果として何回も失敗してしまいます.私はこのような失敗を何回もしているので,真実味が出ています.なお楊篤(ようとく)は私の雅号.

パロディ短歌は,このようになるべく似たような言葉(言葉あるいは発音が同じで意味が違うならなお良い)を用い,中身をゴルフのお話にしてしまう訳です.うまくできれば,パロディ短歌を見ただけで元の歌が想像できます,つぎの歌のもとになった歌を想像して下さい.

 

              ああっファーと 叫んでみれば 遙かなる 隣のホールに 出でし玉かも(楊篤)

 

ゴルフボールをとんでもない方向に打ってしまったときは,「ファー」(正しくは「フォアー」)と叫んで周りの人に注意を呼びかけるのですが,私の打った玉が隣のホールまで飛んでいってしまったという訳です.多くの方はこれを読んだだけで,もとの歌が思い浮かんだことと思います.阿部仲麻呂がはるか唐の地から奈良の都をしのんで歌った次の歌です.

 

              天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも(阿部仲麻呂)

 

このように,一つ一つのフレーズに調子の似た別の言葉がうまくはまると気持ちが良いわけです.

さてつぎは,同じ発音ではあるものの,まったく別の意味を持つ言葉を使ったものです.もとになったのはつぎの歌です.

 

              夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいずこに 月宿るらむ(清原深養父)

 

夏の夜は短いので,まだ夕方だと思っていたらもう夜が明けてきた,雲のどこかに月が宿る暇もないなあ,というような意味です.この「まだ宵ながら」という言葉をヒントに,これをつぎのように使いました.

 

              昼飲んで まだ酔いながら 打ち込めり 藪のいずこに 玉宿るらむ(楊篤)

 

ゴルフコースでは,普通前半の9ホールを終えたところで昼食を取りますが,その際に大概はビールや焼酎を飲んでしまいます.私のようについ飲み過ぎてしまう者は,後半は「まだ酔いながら」始めることになり,藪にうちこんだりする訳です.

さてこれまでパロディ短歌を幾つか紹介しましたが,パロディではなくオリジナルの歌でも楽しめます.

 

山の辺の 池のほとりに おっとっと の中に我が玉は 鯉も驚くまたKか(楊篤)

 

いつも行く御殿場のコースの18番ホールには一番狭くなった所に小さな池があり,そこには大きな鯉が沢山います.私はどうしてもその池に玉を打ち込んでしまうのです.池の鯉はさぞ,またKさんが打ち込んだなと思っているに違いありません.私の玉は新陳代謝が激しいので,要するによく無くなるので,いちいち憶えられません.そのため私の玉にはイニシャルのKが大きくマジックインキで書いてあるのです.

このように,私が遭遇した面白い状況を,百人一首の歌をもとにしたパロディ短歌に作りかえたり,オリジナル短歌にしたりしながらやることをおぼえ,次第にゴルフも楽しくすることができるようになりました.

4.おわりに

食事療法や運動の通じての健康維持について,最近の事情を色々書いてみました.簡単に言えば、最近かかった病気とゴルフの新しい楽しみの話でした.

さて,もう一つの最近の楽しみは孫娘と遊ぶことです.孫娘は3歳になり,幼稚園通いを始めましたが,最近ではなかなか難しいことを話すようになりました.また先日のドーナツ屋さんごっこの時など,チョコレートドーナツを2つとストロベリードーナツ1つ下さいと注文すると,分かりました全部で3個ですね,という答えが返ってくる.おおっ,算数ができていると喜ぶ爺バカぶりです(図3).

この原稿をまとめようとしているところに,二人目の孫娘が生まれたとの知らせが娘から入りました.これからますます忙しくなりそうです.

きたがわ あとう

北川 能君

19471018日生まれ.

1978年東京工業大学大学院理工学研究科博士課程満期退学.東京都立工業高等専門学校を経て,1984年東京工業大学助教授,1991年同教授,2000年同大学院理工学研究科機械制御システム専攻教授,2008年日本フルードパワーシステム学会会長,2013年東京工業大学定年退職,現在に至る.流体制御,生体協調流体システム等の研究に従事.工学博士.

                                                                            

 

 

 
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