随 想
技術功労賞を受賞して*
成田 晋**
* 平成30年8月7日原稿受付
**日本フルードパワーシステム学会,〒105-0011 東京都港区芝公園3-5-22
1.はじめに
このたびは,日本フルードパワーシステム学会より,平成29年度技術功労賞という油圧にかかわる技術を仕事にしてきた者にとって,大変名誉ある賞をいただくごとができ大変光栄である.
今まで指導いただいた恩師,上司をはじめ,活動を支えていただいた多くの関係者にお礼申し上げる.
今回,このような執筆の機会をいただいたので,私の今までの油圧関連業務や学会活動の一端を紹介させていただくとともに,今後の油圧技術への思いを述べさせていただきたい.
2.油圧との出会い
私が油圧を知った最初は,母校の豊田工業高等専門学校の「流体工学」の授業で油圧機器について習ったことに始まる.今日では流体工学で油圧機器を教えることはほとんどないと思うが,当時の担任の山口先生の専門が油圧であったため,油圧に関する授業が普通にあったり,卒業研究で油圧の研究をする学生も普通にいた.私の卒業研究も流体関係ではあったが,研究テーマ自体は「渦巻ポンプの流れの可視化」に関するもので,残念ながら油圧ではなかった.ただ,同じ実験室の中に油圧の実験設備があり,卒業研究を行っている学生に実験装置の説明を受けたりしたものである.続いて,もう一つの母校の豊橋技術科学大学に編入してのち,卒業研究と大学院の修士課程で,市川・日比研究室に配属を希望し,卒業論文「油圧ポンプ効率の熱力学的測定」と修士論文「油圧式フリーピストンエンジンに関する研究」で油圧との本格的な関わりが始まった.創立間もない大学であったため,実験室はあれども実験装置はまだ完全ではなく,重量法で流量を測定するための計量タンクを製作するために,板金溶接を行うことから始めたことが思い起こされる.
3.企業の技術者として
1983年の大学院修士課程修了後,いろいろ経緯があって萱場工業(株)(現 KYB(株))に入社した.研究開発部門への配属を希望したが,油圧ピストンポンプ・モータの開発・設計部門へ配属となり,油圧ピストンポンプの開発に従事した.当時の萱場工業は現在と同じく自動車や二輪車用のショックアブソーバやオイルダンパといった油圧緩衝器と建設機械やフォークリフトなどの産業機械向けの油圧機器が主な製品であった.油圧機器は建設機械向けの製品を得意とし,中でも油圧ショベル向けの油圧機器を主体とした製品構成で,シリンダやコントロールバルブやギヤポンプはかなり大きなシェアを持っていた.しかし,ピストンポンプ・モータはそれほどおおきなシェアを持っておらず,特にピストンポンプはほとんどシェアゼロの状況であった.
そんな状況の中,新たなピストンポンプを開発するプロジェクトが立ち上がり,入社して半年,正式配属されたばかりであったが,そのポンプ開発プロジェクトの一員として加わることとなった.プロジェクトでは20tonショベル用の2連斜軸ポンプと12tonショベル用の2連斜板ポンプの2機種を開発することを目標とした2チーム構成のプロジェクトであった.私は斜板ピストンポンプの開発チームに所属し,開発・設計を担当することになった.
プロジェクトでは,他社のショベル用ピストンポンプの構造を調べたり,どのような性能を評価するのか,耐久性はどう確保するのか,といったことを客先の開発実験部門の方に講師に来ていただき,いろいろ教わりながら開発が進められていった.私はポンプ部品の設計を担当し,すでに社内で開発された計算プログラムを使ってポンプケースのFEMによる強度解析や,シリンダブロックの内圧シミュレーションを行って,バルブプレートの形状を決定していくといった設計を行った.当時の技術計算用コンピュータはパンチカードで入力データ作成し,計算の出力もラインプリンタによる数値データとX-Yプロッタによるグラフ出力といったものであり,今では計算が瞬時に終了するような計算を,半日がかりで1条件の計算を行うといったのんびりしたものであった.まったく隔世の感である.
当時,プロジェクトではポンプの原理試作から始め,本試作の時に客先にプレゼンを行い,試作受注をすると試作納入を行い,ベンチでの評価と並行して実機での評価を行うことが多かった.客先の教えを受けながら開発したポンプであっても,実際のモノづくりとなると想定外のことが多々発生し,試作品の性能が客先の仕様に合わない,レギュレータがハンチングを起こし性能が出ないといったことが毎回のように発生し,その度にポンプを試験機からはずし,分解して部品の手直しをし,再度組み立てたのち試験機に載せるという作業を何回も行い,やっと性能を出すといったことを行なっていたため,試作品の出荷試験では開発実験の担当者と何度徹夜したことだろうか.今なら完全にブラック企業であるが,当時はそれが当然のように行われていた.
そんな苦労をして開発したポンプも数社に試作納入して評価を行ってもらったが,騒音問題やコストの問題が発生し,最終的に量産までこぎつけたのは1社のみ.当然,数量も限られたものであるため,量産の製造ラインには自動化といったようなコスト低減策を盛り込むことができず,シリーズ展開で多少数量が増えたが,量産が終了するまでずーと赤字製品であったことが悔やまれる.
その後,開発にかかわった製品を列挙すると,ホイールローダ走行用の分離型HSTの開発,ホイールローダ用電子制御HSTの開発,最初に開発した油圧ショベル用ピストンポンプのモデルチェンジ開発,ショベル用ロードセンシングポンプ開発,乗用車のアクティブサスペンション用ピストンポンプ開発,バックホーローダ作業機用ロードセンシングポンプ開発,ミニショベル用スプリットフローピストンポンプ開発,ミニショベル用ロードセンシングポンプ開発,コンクリートミキサー車用分離型HST開発,ミニショベル用ピストンポンプ付属ギヤポンプ開発,KYBハイブリッドシステム用ブーム回生・アシストポンプモータ開発といったものがある.また,製品開発とともに,ピストンポンプの斜板制御に必要な電子制御レギュレータの要素開発やソレノイドバルブの開発にも取り組んできた.もちろん製品開発だけではなく,量産が立ち上がった後のライン設計にも関わり,製品のコストダウン設計に取り組み,収益の改善にも励んできた.
数多くのピストンポンプの製品開発に取り組んできたが,数々の試作トラブルを乗り越え量産までたどり着けたポンプは数少なく,やっと量産が始まったポンプも初期トラブルによる不具合により,多くのお客様にご迷惑をかけてきた.商品として世の中にデビューできたものは,ひとえに開発にかかわっていただいた多くの方々のご協力のたまものである.あらためて感謝申し上げる.
それにしてもノークレームで立ち上げることのできた製品はあったのだろうか・・・.
4.学会活動について
当学会には,1983年に学生会員として入会した.修士論文の研究発表のためである.
萱場工業に入社した年の5月の春季講演会で修士論文の成果を発表した.だが,その後は会社の業務に追われ,ほとんど学会とかかわることはなかった.学会誌の企画で緑陰特集号の座談会に参加して,その校正で夏休みがほとんど潰れたこと,東工大で開催された第1回国際シンポジウムに参加したことが記憶にある程度である.
大きく学会とかかわることになったのは,2005年に学会の企画委員になってからである.前任の企画委員から「転勤で油圧とは関係のない部門に移動することになった.上司の了承は取ってあるから委員を交代してくれ.」とTELがあり,断ることができない状況で引き受けたことによる.当時,工場の技術部から製品企画開発部という,工場の技術部から少し離れた立場で製品開発を行う部門に異動したばかりで,時間的に多少余裕があったことも企画委員を引き受けさせられた理由でもある.
特に引継ぎもなく,日時と場所を教えられ,多少緊張して田町のキャンパスイノベーションセンターへ1人で行って,委員交代の挨拶をしたことが記憶に新しい.
また,同時期に工業会の標準化委員会ポンプ・モータ分科会の委員にも参画することになった.きっと「暇な部門に異動になった成田にやらせておけばよい.」と誰かが考えたのであろう.
その後は,会社の業務の都合を自分で調整できたこともあり,企画委員会,工業会の分科会ともに,ほとんど欠席することなく,学会の春季・秋季の講演会にもほぼ参加してきた.企画委員会や工業会の分科会では,今まで話すこともなかった他の企業の技術者や大学の先生方としがらみなく実にフランクに話すことができ,さまざまな情報や考え方に接することができたのが心地よかったのではないかと思う.
一方,企画委員会では秋の講演会を地方で開催することが大きな行事の一つであり,そのため会社関係の出張では行くことのなかった地方へ行けることが楽しみの一つでもあった.
2012年10月には,本社の技術企画部門へ転勤となり,編集委員会の委員も兼任することとなった.さらに,2014年からは企画委員会の副委員長を任されることとなった.
2017年に定年退職となったことから,企画委員と編集委員を若い後任に任せることとなったが,それまでの間,セミナーの主査や学会誌特集号の主査などの役割をさせていただく中で,さまざまな企業の方や先生方と知り合うことができ,新たな情報や知識を得るとともに,たくさんの貴重な経験をさせていただいた.
5.日本のフルードパワー技術と学会について
IoT,ICTといった電子化技術を適用することで,フルードパワーシステムはより高付加価値なシステムを構築することが可能となり,フルードパワーシステムの適用分野を一層広げることに役立っている.しかし,フルードパワーシステムのさまざまな問題を解決し,それぞれの目的に合ったフルードパワーシステムを構築するには,システムだけではなく,より基礎的なハードウェアや作動流体といった要素的な部分の理解が必要である.
油圧に関する基礎的な研究開発は,過去には盛んに行われていたが,現在の日本ではほとんど行われていないように思う.一方,欧米や中国といった海外では油圧の研究開発が多くの大学や研究機関で行われており,基礎的な研究開発だけではなく,新しい応用分野の研究開発が盛んに行われている.
この違いがどこにあるのか,欧米は産学連携がうまくいっている,中国は国が力を入れてやっている,といったことが言われているが日本はどうであろう.
日本でも産学連携の活動,環境は整備されつつあるがまだ十分であるとはいえない.産学連携を活発にするには,大学は企業が興味を示す研究テーマを実施していく必要があり,その機能を担うことが本学会の存在意義となる.学会は大学と企業との調整機能として,工業会と連携して活動していくことが必要であると考える.
6.おわりに
私のこれまでの油圧にかかわる活動について紹介するとともに,今後の日本でのフルードパワーにかかわる研究開発と学会のあり方について,思いを述べさせていただいた.
学会と本格的にかかわりだして13年あまり,思いがけなく学会の事務局に勤務することとなった.今までの油圧に関する知識と経験を活かし,今後のフルードパワーシステム学会の発展に微力ながら寄与できるよう,努力していきたい.
著者紹介
なりた すすむ 成田 晋 君 1957年10月7日生まれ. 1983年豊橋技術科学大学大学院修了.同年萱場工業株式会社(現KYB)入社.主に油圧ポンプ・モータの開発に従事.2017年同社退職.現在,日本フルードパワーシステム学会事務局. |