1.はじめに
令和6年6月21日に開催された第43期通常総会後の表彰式において学術貢献賞を頂戴した.大変な栄誉なことであり,心より深く感謝申し上げる.恩師の冨田幸雄先生が東京工業大学を退官したのちに,東京理科大学に着任され,学部から大学院まで流体工学に関する研究の指導を受けた.冨田研究室では磁性流体や粘弾性流体の流動現象の解明,空力音響・圧縮性流体の流れに関する研究,曲がり管内におけるトムズ効果の研究が精力的に行われていた.取り組んだ研究テーマは平板まわりのはく離流れに伴う騒音とその低減化の研究であった.低騒音の開放型風洞に騒音測定室が組み合わされた実験装置を用いて,流体力学と音響工学の観点から得られた研究成果を博士論文にまとめた.大学院を修了して沼津工業高等専門学校機械工学科に着任し,黒下清志先生と大島茂先生の指導を仰ぎ,油空圧工学に関する研究をはじめるとともに,貴学会に入会して,35年が経過した.本稿ではこれまでのフルードパワー特に空気圧に関する研究の振り返りを述べさせていただくこととする.
2.空気圧事始め
沼津高専では黒下教授とともに,電磁弁の有効断面積の測定法の研究1)をはじめた.真空保持した一定容積のタンク内に供試電磁弁を経て大気中から空気を流入する真空充填法を開発した.タンク内の圧力変化と温度を測定し有効断面積を求める方法である.さらにパーソナルコンピュータにA/D変換ボードを増設し,データをとりこむとともに,プロッタに出力するソフトウェアを活用して,圧力比例制御弁と流量比例制御弁の静特性と動特性の試験方法を検討した.これらの試験を行うと,圧縮空気の流れに伴い強い騒音が発生するが,空気圧用消音器を用いないため,測定者は聴覚保護具の着用が必須であった.1992年に大島先生が在外研究で派遣されたMSOE Fluid Power InstituteとOklahoma State Universityを訪問した.充実した油圧の実験装置,多種の測定機器,光造形機,油圧回路シミュレーションソフトを見学した.指導教授の先生方と大学院の学生の活動を拝見でき,自らの研究室の運営に参考にしたことが思い出される.
3.空気圧騒音の測定と低減化
圧縮空気の流動に伴って発生する強い空気圧騒音の問題を解決するために,騒音の音響特性を解明し,その低減の対策を行う研究テーマに取り組んだ.当初,卒業研究の学生とともにツーバイフォー工法に基づき木材と合板を組み上げて,吸音材料を内部に設けた騒音測定室を完成した.暗騒音の低い音場の測定環境が得られ,研究の遂行に資する資産となった.さらに積分型精密騒音計と音響用リアルタイム周波数分析器を研究室に導入して,初代の音響測定システムが完成し,研究が大いに進んだ.この測定環境のもと電磁弁の有効断面積の測定法を騒音から比較検討すると,放出法に比べて真空充填法が低騒音な測定法であることを示した2).空気圧機器から生じる騒音には非定常音もあり,平成7年に変動騒音に対するサイレンサの消音効果に関する研究3)を発表して平成7年日本油空圧学会SMC賞を受賞した.さらに非定常音に対して音声認識アルゴリズムを用いて,減衰された音の発生した時間と消滅した時間を決定する方法を新たに開発し,音声認識アルゴリズムを最適化するために各種のパラメータの最適化と閾値を求め4),さらに音響パワーレベルの算出に役立てた5).
4. 空気圧騒音が人間の生理に与える影響
人間の生理の状態は,交感神経と副交感神経によりコントロールされており,活発な活動になる,または活動が抑制される場合がある.外界からの騒音の刺激による生理の状態変化を実験的に確認した.具体的には心拍,呼吸,発汗を測定して,空気圧騒音によって生じる人間の不快感を明らかにした.さらに物理的な刺激の強度と人間の知覚の関係をあらわすスティーブンスのべき法則に基づいて,脳波のベータ波の電圧値と空気圧騒音の音圧との関係を求め,空気圧騒音のうるささが関係式のべき指数で評価できることを見出した6).人間の大脳皮質は運動野,感覚野,そしてこれら以外の領域である連合野の3つの野に,機能上分類される.外部からの刺激である騒音の場合,大脳皮質は聴覚器官から送られた信号を感覚野のひとつである聴覚野で受け取る.空気圧騒音の定常音と非定常音を聞いた被験者のEEGと脳波トポグラフィを測定して周波数マップを作成し,大脳皮質の局在性の観点から,脳の活動状態を解明した7).空気圧騒音をディジタル録音した後に騒音の発生時に音響効果を施した音刺激をパーソナルコンピュータで作り,複数の被験者に聞かせた.音刺激を受けると,心拍数と呼吸数の増加,発汗量の増加が認められた.しかし,フェードインのある音刺激では,心拍数のR-R間隔変動係数が低下すること,心拍数の低・高周波数比から,交感神経の活動が低下することを明らかにした.さらに,脳波計測システムを用いて,被験者の生理と脳のβ波の活動状態の低下を結論として得た.これらの結果から,空気圧騒音の発生時に5秒のフェードインの効果を付加することが,被験者の不快な状態を低減することを見出している8).
5. 空気圧用消音器の開発
空気圧騒音を減衰する5種類の消音器を開発した.はじめに酸素濃縮器から発生する空気圧騒音を低減するための消音器を開発した.多孔質材内に空気流れと騒音を導き,消音する機構である.多孔質内に設けた流路の形状の異なる3種類の消音器を設計・製作し,消音効果の優劣を騒音レベル,周波数スペクトルおよびNC値などの音響特性から明らかにした.さらに改良を加えて,この消音器の上流側に層流化装置を設けて一層の消音効果を得た9).第2に非定常性の空気圧騒音に対する空気圧用消音器を開発した.空気圧用消音器はその内部に形状記憶合金からなる人工筋肉を複数本並列配置しており,騒音の発生時において,フェードインの効果を作ることができる.この効果を作る装置の最適な運転条件を求めた10).この研究成果は特許出願公開番号2007-92910 登録番号4742206空気圧用消音装置となっている.上述の消音器と構造が異なる第3のスリット形サイレンサの開発を行った.このサイレンサは本体の円筒形側面の周方向に小さな間隔のスリットを設けてあり,同形状のスリット12列を円筒軸方向に有している.排気音の減衰特性を音圧法と音響インテンシティ法で実験的に明らかにした.市販の樹脂製サイレンサに比べて,スリット形サイレンサは高い消音特性を持ち,音の放射特性が異なることを示した11).第4に空気圧消音器の内部に螺旋形状のコアーを設置した消音器を開発した.消音器に流入する空気流量と騒音レベルの関係,音の指向性,周波数特性,音響インテンシティの分布を測定し,コアーなしの空気圧用消音器に比べて,消音効果が向上する新たな手法を提示した.また,減衰特性が良いコアーの大きさを明らかにしている12).最後に層流形消音器, ゼオライトを充填した膨張形消音器,吸収形消音器を直列に接続した空気圧用消音器を現在開発している.騒音源を探査して,吸収形消音器の多孔質材料の改善と消音器の流路内にコアーを挿入する改善を行った結果,酸素濃縮器に用いることを想定すると,日本建築学会による建物・室用途別性能基準に照らし合わせて,集合住宅の居室や個室の病室における騒音レベルを満足する減衰効果が得られた13), 14).
6.新たな研究分野への展開
平成26年に本校専攻科の組織改編が行われ,総合システム工学専攻内に医療福祉機器開発工学,新機能材料工学および環境エネルギー工学の3コースが設置された.これにともない新たな研究テーマを展開した.環境エネルギーの研究では,圧縮空気を翼面上に設けたバルーンアクチュエーターに供給し,翼の断面形状が変わる螺旋形マイクロ風車を開発した.周速比の広い範囲において,加圧したマイクロへリックス風車のトルク係数と出力係数が増加することを示した15).医療福祉機器開発に関する研究では,高齢者の身体機能のリハビリテーションを目的として室内の手すりに取り付ける立位保持装置を開発した.立位保持装置はグリッパ,ストッパ,ベルト,ハーネスおよびサスペンダから構成され,グリッパとサスペンダに空気圧ゴム人工筋肉が用いられている.グリッパの把持特性,重心動揺軌跡長と重心動揺面積から疑似高齢者の静止立位に本装置が有効であることを明らかにした16).立位保持装置に重心移動装置を加えた空気圧装置を設計・製作して,この装置の前進方向への運動特性を実験的に明らかにした.被験者に空気圧装置を装着し,静止立位から歩行開始時における圧中心の軌跡から,その機能の有用性を示した17).さらに空気圧装置に低速制御が可能な空気圧シリンダを追加して,不安定な床面上に静止立位の安定状態と左右方向の往復運動を支援した18).在宅酸素療法を目的とした酸素濃縮器の運転時に生じる空気圧騒音を低減する消音器の音質評価を行った.消音器によりラウドネスが大きく低減し,またシャープネスも消音器により低減された.この研究から空気圧騒音の音源となる絞りでの臨界背圧比近傍でシャープネスが増加する新たな現象を見出した19).この現象を応用した研究を以下のように進めた.JIS B8390の空気圧機器の流量試験方法において試験中に発生する空気圧騒音を低減する試験回路を開発し,さらに音質メトリクスであるシャープネスを活用して,臨界圧背圧比を簡便に推定し,音速コンダクタンスを算出する方法を提案した20).この方法を空気圧用電磁弁に適用するために,試験回路に組み込む流量特性の良い空気圧用消音器を新たに開発し,空気圧用電磁弁の臨界圧力比をシャープネスから求められることを明らかにした
21).
7.おわりに
私の研究を振り返ると,フルードパワーの教育・研究に従事できたことは,先輩先生方の指導と助言,また研究室の学生の熱意と頑張りにあることを再認識するとともに,深く感謝申し上げる.この分野に豊富なご経験と深い造詣を持たれる会員諸兄の出会いには刺激や新鮮な発見があり,成長の糧になってきた.貴学会においては会員の交流とともに研究活動の発表の場を提供していただき,厚く御礼申し上げる.加えて貴学会の活動への推薦をいただき,学会事務局のみなさまの厚い支援の下に論文集委員会委員,編集委員会委員と委員長,会計委員会委員長,評議員の任を務められていることに感謝の念に堪えません.最後に日本フルードパワーシステム学会の今後のますますのご発展を祈念するとともに,フルードパワー技術の進展のために微力ではあるが,努力していきたい.
参考文献
1)
村松久巳,黒下清志:電磁弁の有効断面積測定法に関する研究,日本油圧学会,油圧と空気圧,第27巻,第3号,p.398-402 (1996)
2)
H.Muramatsu,
K.Kuroshita :Measurement
Method of Effective Area of Solenoid Valve, Proceedings of Fifth Triennial
International Symposium on Fluid Control, Measurement and Visualization, p.83-88(1997)
3)
村松久巳:変動音に対するサイレンサの消音効果に関する研究,平成6年秋期油空圧講演論文集,p89-92(1994)
4)
H.Muramatsu,
T.Ito, K.kagawa, K.Kuroshita :A New Method for Measurement of Fluctuating Sound
Utilizing Algorithm of Speech Recognition, Proceedings of the
Fourth JHPS International Symposium on Fluid Power Tokyo’99, p.481-486 (1999)
5)
H.Muramatsu,
T.Ito, K.kagawa, K.Kuroshita :Measurement of Sound Power Level of Pneumatic Silencer
Using Speech Recognition, Proceedings of the Sixth Triennial International
Symposium on Fluid Control, Measurement and Visualization, CD-ROM (2000)
6)
H.Muramatsu:Physiological
Responses Induced by Pneumatic Noise,Proceedings of The 5th JFPS International
Symposium on Fluid Power NARA2002, p.675-680,(2002)
7)
村松久巳:空気圧騒音に対する生理学的反応,春季フルイドパワーシステム講演会講演論文集,p.67-69
(2000)
8)
村松久巳:アーゴノミックスから提案する空気圧騒音の低減方法,春季フルイドパワーシステム講演会講演論文集,p.107-109
(2003)
9)
H.Muramatsu,
K.Osaka:Acoustic
Characteristics of Silencer for Supressing Pneumatic Noise from Oxygen
Concentrator,Proceedings
of The 12th International Symposium on Fluid Control, Measurement and
Visualization, p.1-6 USB flash drive(2013)
10) H.Muramatsu,
K.Ono, N.Adachi:Development
of a New Pneumatic Silencer to Reduce Unpleasantness of a Sound, Proceedings of
The 6th JFPS International Symposium on Fluid Power TUKUBA 2005,p.132-136CD-ROM(2005)
11) 村松久巳, 香川利春,黒下清志,藤田壽憲,内藤恭裕:スリット形サイレンサの減衰特性,秋季フルイドパワーシステム講演会講演論文集,p.76-78(2000)
12) 岩本友秀,村松久巳,香川利春:空気圧用消音器の高性能化に関する研究,秋季フルードパワーシテスム講演論文集,p.70-72(2001)
13) 村松久巳,宮本万里歌:直列配置した空気圧用消音器による騒音の減衰特性,春季フルードパワーシステム講演会講演論文集,p.77-79(2023)
14) 村松久巳,宮本万里歌,広瀬遼:直列配置した空気圧用消音器による騒音の減衰特性,春季フルードパワーシステム講演会講演論文集,p.23-25(2024)
15) 村松久巳,上杉 崇,松下智貴:バルーンアクチュエーターを装着したマイクロへリックス風車の開発,春季フルードパワーシステム講演会講演論文集,p.67〜69(2019)
16) 村松久巳,柴野顕裕,小笠原和也:空気圧ゴム人工筋肉を用いた立位保持装置の開発,春季フルードパワーシステム講演会講演論文集,p.55-57(2012)
17) 村松久巳,山本繁樹,千葉怜央:人間の歩行開始時の運動を支援する空気圧装置の開発,日本設計工学会2013年度秋季大会研究発表講演会講演論文集,p.193-194(2013)
18) 村松久巳,渡部実苗:空気圧装置を用いた不安定面状の高齢者の静止立位と重心移動の評価,第25回フルードパワー国際見本市 カレッジ研究発表展示コーナー論文集,p.13-14(2017)
19) 村松久巳,五味朋子:酸素濃縮器用消音器により減衰される空気圧騒音の音質評価,春季フルードパワーシステム講演会講演論文集,p.106-108(2015)
20) 村松久巳,天野勝太,前田篤志,尹錘皓,香川利春:音質評価を用いた空気圧機器の流量特性の測定法,春季フルードパワーシステム講演会講演論文集,p.55-57(2016)
21) 村松久巳,鈴木浩行,前田篤志,尹錘皓,香川利春:音質評価を用いた空気圧用電磁弁の流量特性の測定法,春季フルードパワーシステム講演会講演論文集,p.13-15(2017)
著者紹介
むらまつ ひさみ
村松 久巳 君
1989年東京理科大学大学院工学研究科博士課程修了.沼津工業高等専門学校助手,講師,助教授,准教授を経て,2008年同校教授,現在,同校名誉教授.空気圧工学と音響工学の研究に従事.日本フルードパワーシステム学会,日本機械学会,日本音響学会,ターボ機械協会の正会員.工学博士.
E-mail: muramatu(at)numazu-ct.ac.jp